丸に違い鷹の羽紋:池田家家臣となった御津町金川の板津氏の家紋、犬山市内田、各務原市、美濃加茂市今泉の板津氏の家紋、今泉板津氏はかって三つ鱗紋使用 |
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丸に三つ鱗紋:岐阜県美濃加茂市万場・古井、関市肥田瀬の板津氏の家紋、加賀藩・富山藩に仕えた板津氏の家紋 |
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丸に澤潟紋:岐阜県加茂郡富加町、横浜市保土ヶ谷区仏向町の板津氏の家紋、富加町の板津氏はかって丸に三つ鱗紋を使用 |
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丸に剣片喰紋:岐阜県蛭川村田原、中津川市の板津氏の家紋、犬山にもこの紋あり |
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丸に隅立て四つ目紋:犬山市楽田の板津氏の家紋 |
「三つ鱗紋」に関する伝承 「三つ鱗」紋は美濃の加茂郡に移住した板津氏固有の紋ですが、「三つ鱗」紋の由来について、次のようなユニークな伝承が三つ有りますので紹介します。 まず第1の伝承は現在の板津氏は北条氏であって、北条平時国という人物が加賀に赴き、板津氏の娘をめとり、板津姓に変更したというのであります。 時あたかも鎌倉幕府滅亡直前の事であります。北条一族の主な者は鎌倉寛永寺にて滅亡しましたが、板津の娘をめとった者は加賀にて生き延びたとの伝承であります。 現在この伝承を持つ板津氏は「三つ鱗」紋ではなく、「違い鷹羽」紋や「澤潟」紋を使用しております。 第2の伝承は、板津氏は俵藤太秀郷の子孫であり、俵藤太が龍神から頼まれて、ムカデを退治したという話から「三つ鱗」紋が使われたという伝承であります。「三つ鱗」紋の鱗は龍の鱗であって、子孫を加護するものだというのです。この話は俵藤太秀郷のムカデ退治と結びつけて伝承されて来ましたから、親が自分の先祖の話を自慢げに話すので、いろりを囲んで子供たちが興味ありげに聞いていた光景が目に浮かんで参ります。 伝承の一部 「三つ鱗の紋を用いるのは秀郷が龍神の願いを叶えた時より数代後のこととなるが、この紋は子孫を守る物にして、龍神の姿を現し、龍の鱗である。」 第3の伝承は承久の乱後、北条氏より、「三つ鱗」紋を拝領したというのである。この板津氏は現在「澤潟」紋を使用しています。この話は鎌倉方についた板津三郎家景が法皇方の一族林家綱に誅殺される出来事に関連有りと考えることも出来ます。 いずれにせよ、今となってはどれが真実の伝承であるか確かめるすべがありませんので知りうる伝承を全て開示致します。 これ以外の情報をお持ちの方はご連絡ください。 |