俵藤太の「ムカデ退治」の検証 Valid HTML 4.01 Transitional 正当なCSSです!

澤潟四郎

  この文は筆者・澤潟四郎が実名で平成14年7月号の『歴史研究』に投稿した論 文です。文章は「あります」調に変更してあります。また一部は加筆訂正してあります。
  この宇宙が誕生して以来、全てのものは進化します。進化する以上、進化する前のものと進化したものとが互いに 関連しあって存在します。歴史の史実と歴史物語との間にもこの進化の法則が存在すると考えられますから、物語に は物語を形作る史実も潜んでいると思います。
  しかし、物語の史実を明らかにすることは至難の業です。なんとなれば物語の作者は過去の人物ですから、直接会 って、物語の作成真意を確かめる事は出来ません。つまり作者と向き合うことが出来なければ、第三者からの推論は 広い意味では物語となってしまう危険があります。それを承知で俵藤太のムカデ退治の史実に迫ってみます。
  俵藤太のムカデ退治の話は全体を構成するストーリーと、ストーリーを構成する様々な説話とに区分出来ると思い ます。順序を逆にして説話から入ってみましょう。
  まずムカデ退治や取れども尽きない米俵の話は藤原利仁の説話から取ったものでしょう。『今昔物語』の説話の中 に、加賀国の七人の漁民が蛇体をした「猫島」の神に招き寄せられてこの島に漂着し、ムカデの姿をした敵の神と戦 ってこれを打ち負かし、七人は猫島に移住することになったという話があります(巻二十六の九)。これは、秀郷が 龍神の依頼で近江の三上山に巣くう大ムカデを退治した話と共通するものがあります。
  また、利仁の事跡が『鞍馬蓋寺縁起』に特筆大書されている点から見て、鞍馬寺にとって利仁が毘沙門天を体現す る重要な旦那であったと思われます。『宇治拾遺物語』(巻十五の七)には、その毘沙門天が越前国に住む男に「米 二斗わたすべし」という「下文」を授け、男はそれによって鬼から「使っても減らない宝の米」を与えられたという 話が見えます。
  これは、秀郷が龍神から大ムカデを退治した返礼として「取れども尽きぬ米俵」を与えられたという『太平記』や 『俵藤太物語』の話とオーバーラップするのです。
        (この項、『藤原秀郷』野口実著より抜粋修正引用)
  一方、俵藤太のムカデ退治の骨格となるストーリーは平将門乱に起因しているように思います。三上山を七巻き半 する程の大ムカデというのは平将門が関東八州を七州半まで侵し、大軍を引きつれ、都(京都)へ攻め上らんとする 様を表したものでしょう。そして二行に燃える松明というのは長い二列をなして攻め込んでくる武者たちの持つ松明 のことでしょう。
  平将門が誅殺された直接の原因は藤原秀郷の矢が眉間を貫いたからと言われています。ムカデの急所も眉間であ り、急所の部位が共通しています。
  藤原秀郷は平将門と戦う直前に神社に戦勝祈願しており、平将門の首を得たのはひとえに戦勝祈願した神社のおか げのはずです。ところが『太平記』や『俵藤太物語』では平将門の首を得たのはひとえに龍神のおかげであるとして います。『俵藤太物語』の末尾に
  日本六十余州に弓矢をとって藤原と名乗る家におそらく
  は秀郷の後胤でないものはないということになった。
と記しており、説話においても部門の頭領としての地位も藤原利仁から藤原秀郷へと移ったと世間では見るようにな ったと思われます。

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