史実の判断基準 Valid HTML 4.01 Transitional 正当なCSSです!

澤潟四郎

  この文は筆者・澤潟四郎が平成15年3月発行の『歴史研究』に投稿した論 文です。文章は「あります」調に変更してあります。また一部は加筆訂正してあります。
  これが史実だということを断言出来る人は恐らく誰もいないでしょう。何故なら我々が知りうる歴史上の知見は、 古文書・人の記憶・言い伝えに頼っており、それが史実であった事を普遍的に証明出来ないからです。歴史家は自説 の推理の中に読者を引き込むように論旨を巧妙に展開していますから、読み手が無批判でその論旨の中にのめり込ん でしまいますと、それがあたかも史実であるかのような錯覚を起こしてしまいます。かといって批判を加えながら読 んでいますと、歴史物語全体がしらけて興味が半減してしまいます。歴史物語を楽しく読む人にとっては捏造があっ た方が面白いですから、史実であるかどうかはあまり問題ではありません。しかし歴史を正しく見つめる立場の人は 絶えず史実であるかどうかの検証を加える必要があります。それでは史実であるか否かの検証を行う基準とは何でし ょうか。
  歴史を開くための第一歩は、初見する内容をまず史実とするという事でしょう(ただし確率的に言えばかなり小さ い危うい存在)。その後は関連する史料が積み重ねられますが、他史料との関連で矛盾がない事、統計的学でいう信 頼性の高い事、つまり分布からかけ離れていないという事が史実として受け入れられる条件でしょう。これが史実で あるか否かを区別する基本的な判断基準のように思います。
  その他に、史料内部の個々の事柄を史実であるか否かを判断する基準と、史料そのものの信憑性を判断する基準の 二つがあるように思います。前者の場合には、それより古い史料と比較して相違点を明らかにし、その相違点を前述 した基本的な判断基準によって判断することです。後者の場合には三つほど信憑性を判断する基準があるように思い ます。
  信憑性が低い第一点は個人、または団体が書いた系図・由緒です。何故ならば、第三者と差別化するために誇張し て、年号を偽ったり、先祖の書き換えを行ったりして、史実を歪曲してしまうからです。戦国時代前期に書かれた家 伝書や社寺の由緒書などでこういう例が認められます。だから同族であっても由緒が異なる場合が見受けられます。
  信憑性が低い第二点は年号に干支の無い場合です。日本史における年号は通常二文字で書かれますから、読み違い や書き違いが起こりやすいのです。だから同じ人物が百年以上も生きた記録がざらに存在します。このため年号に干 支を付けて、二重に時代の錯誤を防止する事が行われます。
  信憑性が低い第三点は出来事からかなり年数が経過して書かれた史料です。手元に過去の記録が残されていない限 り、百年前のことを正しく書く事は不可能です。まして二百年後に書かれた史料の中に初見する内容は、とうてい史 実として受け入れません。
  以上縷々述べましたが、上述した基準を順不動で満たす事が史実の条件ではないでしょうか。それ以外にも史実の 判断基準は多くあると思います、それらを要領よく分類整理するすべを浅学の筆者には思い当たりません。紙面の都 合上、此処で筆をおろすことにします。

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